苦労人生、しみじみと振り返る

こんにちは。管理人です。
今日はたまたまこんな記事を読みました。

コミュ力もリーダーシップもいらない。元Google社員が語る、本当に“優秀な人材“とは
/

Googleで人材開発に従事していた方が優秀な人材について話しているのですが、少し考えさせられる文章がありました。

まずわかったことは、Googleでは、「どんな大学を出たか」は入社後のパフォーマンスと相関関係がなかったことがわかりました。
次にわかったのは、「これまでの人生で苦労をしたかどうか」でした。人生の中で、戸惑ったり、脱線したり、事故にあたり、病気になったり、浪人したり、好きな人を失ったり…。
そういった苦労した人たち、挫折した人たちは、会社のなかでパフォーマンスを発揮していました。
挫折というのは、自分自身を見つめ直すチャンスです。アイデンティティを作り直す機会でもある。次のチャンスを、自ら探しに行く必要があると考えられるかどうか。

「これまでの人生で苦労をしたかどうか」「挫折というのは、自分自身を見つめ直すチャンス」これはその通りだなぁ、と思いました。
苦労や挫折は本当に辛くて苦しいです。でも後になって振り返ると、それが力になっていると感じることもあります。
今回は私が経験した些細な苦労と、そこから得たものを振り返ってみたいと思います。
似たような経験をした方も少なからずいると思うので、「何か」の参考になれば幸いです。

厳しい父親に怯えた実家暮らし

私は18歳まで実家で父・母・祖母・曾祖母・姉・弟と暮らしていました。
父はマナーやモラルに非常に厳しく、物心つく頃には毎日怒鳴られていました。殴られることも珍しくなかったです。
幼いころは何故怒られているのかもわからなかったので、「父は突然怒り出す怖い人」というイメージでした。
恐らく普通は「子供だからしょうがない」と許されるところを、「子供扱いせずにきちんと叱る」という教育方針だったんだと思います。
教育のかいあって外の人には「利口だ、偉い、ちゃんとしてる」などたくさん褒められました。
結果、家では叱られて外では褒められるので、どんどん家にいるのが苦痛になっていきました。
父には一切逆らえなかったので反抗期もなく、18歳で逃げるように家を出ました。

知らない間に手に入れていた能力

家を出て「大人ではないけど子供でもない」くらいの状態で社会に飛び出したとき、自分のことでいくつか気付いたことがありました。

  • 言われたことを一度で理解し、言葉の裏にある意図を読むことができる
  • 視野を広く持ち、細かなところまで気を配ることができる
  • 何事もよく考え、論理的に結論を出すことができる

当時は「自分、歳のわりに能力高いじゃん」と若干天狗になっていましたが、今思い返すと、すべて父の教育の成果だったと思います。

思えば父に怒られているときには、必ず「沈黙の時間」がありました。
父が「なぜ怒られているか分かるか」と問い、私がそれを考える時間です。
私が答えるまで、1時間でも2時間でも父は黙って待ちました。
答えを間違えると更に怒られるため、正解を探して必死に考え続けました。物心つく頃から、怒られるたびにです。

その結果、様々なことを多角的に考え、同じ失敗をしないよう理解し、あらゆるところで気を使って、バカなことはしない。これらが自然にできるようになっていたのです。
この能力を人に認めてもらえるたび、父を思い出します。
苦く辛い経験でしたが、今では良かったとすら思います。

とはいえ「当時ほどではないが今でも父が苦手」「怒られると、大したことじゃなくても涙が出る」という弊害は残りました。
自分が子育てをするときには、トラウマになるような叱り方は絶対にしたくないです。笑

まとめ

苦労や挫折に苛まれているとき、誰もが悩み、そこから逃れようともがきます。
泣いて苦しんで「なんで自分がこんな目に」と嘆きます。
それでも諦めず、苦しみの出口を見つけられたなら、その時は前より強くなった自分になれているんだと思います。

たまに、苦労や挫折した時のことをしっかり思い出してみてください。
その時の経験で自分がどう変わったか考えてみてください。ちょっと泣いても大丈夫です。
今、苦労や挫折の中にいる人は、出口が見つかるまであきらめないでください。
そしていつか、成長した自分をちゃんと見て、褒めて、自信に変えてあげることで「よりよい自分」を目指していきましょう。

以上、管理人が体験した「苦労とそこから得たもの」でした。

その他

Posted by sclde